香月 夕花

小説家。書籍の刊行情報など

「あの空の青は」と映画「フロム・イーブル」

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「昨日壊れはじめた世界で」(新潮社、20年5月刊)について、Instagramでお話しした執筆の動機など、こちらでまとめておきます。本編のネタバレになる可能性がありますので、未読の方はご注意下さいね。

 
19年4月当時、私は「あの空の青は」という作品を書いていました。
「昨日壊れはじめた世界で」に収録された、全体の要となる一篇です。
去年の4月にも思い出し、今年もまた思い出す。ずっと思いを引きずっているので、一度あの作品について、お話しさせて頂ければと思います。
 
***
着想したのはもうずいぶん前のこと。「フロム・イーブル」というカトリック教会の性的虐待を題材にしたドキュメンタリー映画(写真2枚目)を見たときです。
 
昨年の「グレース・オブ・ゴッド」や、16年のアカデミー作品賞「スポットライト」など、カトリック教会の性的虐待問題を扱った作品が近年公開されていますね。しかし「フロム・イーブル」は正真正銘のドキュメンタリー。本物の虐待犯(神父)が登場します。
 
この人物が犯行当時を回想する映像がとてもショッキングでした。語っている間、彼は終始幸福そうに見えたのです。
 
他者への共感能力がゼロで、相手の痛みを感じられない。その上カトリック教会は徹頭徹尾、加害者である彼の味方なわけです。ここに反省は生まれない。
 
彼は被害者に向かい「また会って話せたらいいよね」と微笑みまじりに呼びかけます。おぞましいはずの犯罪の記憶も、彼にとっては「楽しい思い出」に過ぎないんですよね。
「これが人間なのか?」と映像を見ながら考えずにいられませんでした。
 
一方で被害者とその家族は悲惨です。被害を訴えた側が「教会の秩序を乱した」あるいは「誘惑したお前に非がある(実際には一方的に被害を受けただけなのに)」と見なされて教団から排斥されるという、残酷な事実がそこにあります。
 
強権的な組織の中で弱者が搾取されるケースというのは、許しがたいことではありますがありふれた現実でもあります。
しかしこの場合は単なる虐待に留まらず「心から信じていたものを奪われる」という被害も加わる点で非常に残酷です。
「スポットライト」でも描かれていたとおり、被害者たちは「この先何を信じて生きていけばいいのか分からない」状態に追い込まれるわけです。人生の根幹の部分を破壊されてしまう。
 
最近、日本国内のケースもようやく報道されるようになってきました。しかし大半は闇に葬られて終わるでしょう。カトリック教会のケースに限らず、声を上げることも出来ないまま消えて行く弱い人々が、きっと大勢いることでしょう。
 
闇に葬られた人達に、わずかでも光を当てることが出来ればという思いで、「あの空の青は」を書きました。「昨日壊れはじめた世界で」全体が、そうした人々への弔いの歌でもあります。
 
非力ではありますが全力を尽くしました。少しでも伝わるものがあれば幸いです。
(私自身は無宗教で、いかなる宗教団体とも関わりはありません。念のため)
 
追記:「あの空の青は、天国を流れる水の色なのだという」という書き出しを思いついたのは、確か十年前のことでした。綺麗な可愛らしいお話を書こうとして頓挫して、でもフレーズとしては気に入っていたので、いつか何かに使おう、と思っていたのです。時を経て、まさかこんな話に仕上がるとは。小説って(あるいは人生そのものも)何がどう展開するか本当に分からないとつくづく思います。
(2021.4.9)